ピラティスについて


リビタムではお客様に合わせていくつものトレーニング方法やエクササイズを取り入れていますが、その大半を占めているのがピラティスです。
特にマシンを使ったピラティスでは、身体を鍛えるだけでなく柔軟性や動作の改善など様々な効果が望めます。
こちらではそのピラティスの歴史や発展についてお伝えしていきます。


ジョセフ・H・ピラティス​

ジョセフ・H・ピラティス(以下ジョー)は1883年にドイツの田舎町に生まれました。
ジョーの幼少時はリウマチ熱や喘息、くる病に悩まされ、呼吸器系が弱く病弱でした。そこで自分の健康を改善するために、心と体を強くする方法を模索し始めました。
早くから彼は、文武両道という昔からの理想的な人物像に興味を持っていました。その目標を追い求め、彼はボクシングやレスリング、体操、ヨガ、座禅を体験しました。 20世紀初頭のドイツは、ムーブメントサイエンスやダンス、心理学の分野で活躍する人が多く存在し、それらを模索するに充分な下地があったようです。

ピラティス「コントロロジー」の誕生

第一次世界大戦が勃発したころ、ジョーはボクサーとともにイングランドツアーをしていました。戦時中、彼は在住外国人としてランカスター近くの収容所に拘束されました。​
収容所では、拘留者の先頭に立って日課のエクササイズプログラムを指導しました。 ​ジョーによれば、1918~1919年にインフルエンザが流行したとき、彼が率いるエクササイズを行っていた者の中で体調を崩した人はいなかったそうです。​彼のグループが成功したことで、収容所のリーダーが注目することとなり、マン島の病院で病棟勤務員としての仕事に就きました。
そこでは30名の患者の担当となり、毎日欠かさず患者が動ける範囲のエクササイズを行いました。 ​これは、西洋医学がまだ未熟で、手術かモルヒネの投与以外の治療法があまりなかった頃のことでした。
この時代の看護はベッドで安静にすることであり、それは筋萎縮、有酸素容量の欠乏、免疫力の低下をもたらしていました。​ジョーのエクササイズは、患者の回復力を早め、 同じような状況下で多くの人が命を落とした第2次感染を避けるのに役立ちました。
病棟勤務員として働いたことで、ジョーは最初のエクササイズ器具作りにとりかかることとなりました。
30名の患者を手作業で毎日見ることは大変だったので、ジョーは患者のベッドの枠にスプリングを付けるというアイデアを思いつきました。 ​こうして最初のキャデラックと呼ばれるマシンが生まれました。​おかげで、患者はジョーの監督のもと自分でエクササイズができるようになりました。​

アメリカでの「コントロロジー」の発展​

ジョーは収容所から釈放されてドイツに戻ると、「ブラウンシャツ」と呼ばれるナチ突撃隊員から、警察部隊の訓練をする話が持ちかけられましたが、ジョーはナチ軍のためには何もしたくないと考え、船でドイツを出てアメリカへと向かいました。
その旅の途中で、将来妻となるクララと出会いました。クララは看護士でしたが、ジョーの真のパートナーとなり、毎日スタジオの彼のそばで働き、彼が看たがらなかったクライアントの世話をしていました。​
ジョーとクララが1926年にニューヨークに到着すると、彼らは8番街のニューヨークシティバレエと同じビルにスタジオを構え、ジョーが名付けた「コントロロジー」を教え始めました。このコントロロジーが現在600種類を超えるエクササイズ、ピラティスメソッドとなります。​

YOUR HEALTH​

ジョーの著書、「YOUR HEALTH」の中で、ジョーは、体と心のバランスについて触れ、それは体の筋肉の動きすべてを意識的にコントロールすること、体の骨格を構成する骨によって働く梃子の原理を正しく活用すること、体のメカニズムについて完全に理解すること、そして、活動中や休息中、あるいは睡眠中の体の動きに、均衡の法則と重力の法則がどの様に働いているかをよく理解することだ。​
これらの知識を「コントロロジー」と名付けたとあります。そして、コントロロジーの技法と原理が広く受け入れられ実践されれば、精神的苦悩と身体的苦痛が世代を追うごとに軽減し、人生が真の喜びとなるはずだと書いています。​

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